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肝試し必勝法?

私の通っていた小学校では、5年生になると児童たちは「自然教室」というものに駆り出されることになる。簡単に言えば自然に囲まれた施設で一泊するというものである。

私の為人(ひととなり)をご存じのみなさまであれば想像に難くないであろうが、私はこれが嫌で嫌で仕方なかった。「ナメクジを食べるのと自然教室に行くのと、どちらか選べ」と言われたなら、私は、迷うことなく、毅然とした態度で、そんな要求を突きつけてくるやつを非難したであろう。…ん?

中学生になる頃には私の仮病スキルも殿堂入りしていたので、無事修学旅行をサボることができたのだが、しかし小学生の私にはまだそのようなスキルは備わっていなかった。それゆえ、私はイヤイヤバブバブ言いながらバスに乗せられ、車酔いに苦しめられながら、玄界灘の宿泊施設に収容された。

車酔いしやすいということで、バスでは担任の先生の隣に座らされた。車酔いしやすいということと、担任の先生の隣に座るということの間の因果関係は不明である。「教え子の吐瀉物なら喜んで浴びるわよ」という殊勝な先生だったのかもしれない。んなわけあるかい。

また、バスの中では謎のカラオケ大会も開催されていた。普段は黙っている寡黙な男子が大塚愛のPEACHを歌うなどして大盛り上がりだったのだが、私は一人静かに車酔いと格闘していたのでカラオケどころではなかった。

今、ふとPEACHの歌詞を調べてみたのだが、それが思ったより刺激的で、児童がこれを歌っているときの先生の心中はどのようなものだったのだろうか、と遅ればせながら当時の担任、本村先生に思いを馳せている。

BEACH
お尻だらけの誘惑
少しくらい心配したっていいじゃない
信じてるけど

BEACH
お尻がほしければ
あげるわ刺激的な夜と
癒しの
朝用意するね

小学生だったわれわれは自分が何を歌っているのかも分かっていなかったはずである。

他のみんながカラオケを思う存分楽しむ中、孤独な格闘を続けた私の努力は無事報われ、担任の先生が吐瀉物まみれになることも、バスの中が吐瀉物まみれになることもなく、われわれは無事収容施設に到着した。先日は原宿の民を守ったわけだが、私は小学生の頃からこんなふうに大勢の命を守っていたわけである。苦しみを一身に背負って。

われわれはそこでカヌーをしたりキャンプファイヤーをしたりしたのだと思うのだが、正直言ってほとんど記憶がない。(日記をつけていれば…)小学生のことだから、多分学校に帰った後作文なんかを書かされたのだろうが、多分適当に丸めて捨ててしまっているはずである。勿体無い。当時の私にはその貴重さが分からなかったのである。

しかし、一つだけ覚えていることがある。それが肝試しである。

夜ご飯を食べた後、われわれは体育館に集められた。これからデスゲームでも始まるのかと思って待っていると、突如体育館が暗くなり、その施設の職員か誰かが怪談を語り始めた。確か、源平合戦の話だったように記憶している。すでに述べたように、われわれが収容された施設は玄界灘に面していた。そこで彼は壇ノ浦の話をして、当時入水自殺をする他なかった平家の人々の亡霊が蟹に憑依し、今でも苦しそうな相好で目の前の海を歩き回っている、などとまことしやかに語ったわけである。ちなみに、その蟹は平家蟹と呼ばれ、実際に存在する蟹である。

関門時間旅行
海外で論争を巻き起こした「平家蟹」の宿命 今回の珍百景は、関門海峡の海底。さあ、海の底をのぞいてみてください。 いますね、たくさん。それも怒りに満ちた顔・顔・顔…。壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たちの霊が...

こうした低レベルの怪談を聞かされたあと、われわれは班ごとに夜の森を徘徊することを命じられた。要するに肝試しである。

私は当時からお化けの存在は信じていなかったので、怪談の時点でびびっている人たちを見ながら、「全く、小学生ってのはめでたい奴らだぜ」などと、自分もまた小学生であるということをすっかり忘れたかのような不遜なことを考えていた。

そんな私の落ち着きっぷりをみた班のメンバーたちが、私をリーダーに指名した(あるいはひょっとするとバスの中でみんなを救った功績が評価されたのかもしれない)。私は別にリーダーなんかになりたくはなかったのだが、民主主義的手続きにのっとって私はリーダーとなった。

私がリーダーであるということは、私に権限があるということである。ということで、班の全員が無事生きて帰ってこれるように、私は班のメンバーに、配られた懐中電灯は決して使うな、という指示を出した。というのも、きっと先生たちは道中でわれわれを脅かしてくることが予想されるが、そのときに目印にするのがわれわれの懐中電灯の明かりであるはずだと思ったからである。

見た感じ、夜の森はかなり暗い。したがって、われわれみんなが息を潜めて行動すれば、きっと先生たちに気づかれることなくゴールできるはずだ。私はこのように推論したのである。

スタート地点から煌々とあたりを照らしている他の班を見て「全く、小学生ってのはめでたい奴らだぜ」などと(また!)考えながら、われわれの班は懐中電灯を使用することなく夜の闇に入っていった。

が、結局この作戦にはなんの意味もなかった。というのも、懐中電灯を使っている他の班の人たちが次々と合流し、その流れにわれわれの班も飲み込まれてしまったからである。小学生たちがあまりに恐怖してしまったせいで、結局小学生たちは一つの大きな塊となって肝試しに挑むことになったのである。

これでは班に分けた意味などまるでないし、そもそも肝試しになっていない。先生たちとしても驚かせようがない。結果として、われわれはただ夜の森を大群を成して散歩しただけとなった。

どうだ、これが肝試し必勝法である!(?)

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